ホリスティックケアエッセー

2012-03-05 17:24:00
先日、不思議な体験をしました。
霊的なことでもスピ系の話でもないのですが、これってもしやパラレルワールドなのではないか?と思ってしまうような



発端は、ある方の訃報でした。
大学の一期上。私はその方を存じ上げていません。仮にAさんとさせていただきます。合掌。
Facebookを通じて、訃報と共に、「Aさんが所属していたクラブの人を誰か知らないか?」というお尋ねが回ってきたのです。
ご存知の通り、Facabookではメールの一斉送信のように複数の相手にメッセージを送ることができ、返信は掲示板のように全員に公開されてその場で確認できる仕組みになっています。


その時メッセージを送られたのは、学部もクラブも違う人々10人程。
当然、それぞれが共有外の友人・知人ネットワークを持っています。
ところがまず、Aさんの所属していたFクラブの名前は知っていても、その場の誰も、Fクラブに入っていたという人物には心当たりがありませんでした。
Aさん自身を知っていたのも10人のうち1人だけ。
早速、私もFクラブの知り合いを探し始めましたが、友人からのメールの返事はことごとく「知らない」
メールを送って、「知らない」「わからない」という返信をもらうのを繰り返していく内に、私は次第に非常に奇妙な感覚に囚われ始めました。


これってもしやパラレルワールドのようなものなのではないか?
私は直接Aさんのことを知らないけれど、Aさんのことを知っている友人が少なくとも6人はいる。
Aさんは、意外と自分の近くにいた人物だということになります。でも、私自身はご縁がなかった。


さらに、20人近くの人間が手を尽くしても、Fクラブの他の知り合いを見つけることはできませんでした。
自分の人生のすぐ近くにあったはずの世界でありながら、Fクラブも私たち20人とは縁がなかった。



きっとパラレルワールドというのは、こんな風に存在しているのではないかと感じたのです。
その存在を垣間見ることはあるけれど、決して交わることも入れ替わることもない。そうなると、それはもう「存在しない」のと同じことになってしまう。


こんなに近くても交わることのない人生や人々が存在したということは、縁があった人々のことは、これはもう一生懸命に大切にしなければならないのだろう、と気づきました。
ご縁と無縁の間には、本当にわずかな差しかない。
その、わずかだけれど大きくて決定的な差を超えてきた人々のおかげで我々は誰もが生かされているのですよね。


やはり、日本人だけでも1億人もいる中で、ご縁があったということは奇跡のように素晴らしいことなんだなあ
大事にしなくちゃ